●江戸時代から仙台空襲まで
二百年以上も前、安田直之が、江戸時代の寛政2年(1791年)にが現石巻市で診療にあたっていたとの記録があります。その流れを継ぐ安田家が現在まで代々地域医療に貢献してきました。明治に入り、安田陸郎が仙台市国分町に安田医院を開設、大正時代に入り、婦人科の今泉医院(東一番町)、内科の磯医院(東二番町)等と並び、外科の安田医院として仙台市の医療を担っています。昭和12年には医院から病院となり入院患者さんの治療に当たりました。
● 仙台空襲から昭和60n年
昭和20年7月10日の仙台空襲で国分町の病院が焼失し、現在地の仙台市鉄砲町(現仙台市宮城野区小田原)に移転しました。昭和25年に財団法人安田博愛会を設立し、生活困窮者や妊産婦などへの支援を行いました。その当時の診療科は、外科・産科・婦人科で23床の病院でした。昭和31年、診療科に神経科・精神科を追加し、一般病床40床、精神病床40床の病院となりました。昭和39年に病棟からに出火し、一度避難した患者さんが火の中に戻り2名の尊い命が失われました。翌年、一般病床45床、精神病床101床に改築しました。この頃、急速なモータリゼーションによる交通事故が頻発し、行政による救急医療体制がまだ出来上がっていない中、渋谷外科病院、登米外科病院などと共に仙台市内の救急医療を担っていました。昭和48年の院長交代を機に、診療科を外科、神経科、精神科とし、産婦人科の標榜を下しました。院長となった安田恒人は、開放的処遇で病院を運営し、当時は珍しかった開放病棟で運営していました。しかし、病院の前面が国道で車の往来も激しく、外出中の患者さんが交通事故に遭うこともあり、止む無く閉鎖病棟となりました。
●昭和60年から現在
昭和60年には、看護師不足から一般病床を20床に減らし精神病床を105床に増やし精神特例病院としました。平成に入り、宮城県沖での大きな地震発生確率が「30年以内に99%」と言われ、改築後40年以上も経過している病院の建替えが検討されてきました。資金難で、また医療費が低迷している中、行政や金融機関の支援のお陰で東日本大震災前の平成21年に病院が竣工しました。新病院が完成し、念願であった精神科デイ・ケアや精神科作業療法が実施することができました。東日本大震災では、一部設備に被害があったものの、非常電源や暖房設備も稼働し、その夜に患者さんに温かい食事も提供でき、津波被害にあった沿岸部への支援に回ることができました。
●平成28年
安田恒人院長が事故で突然他界し、現院長の安田重が意思を継ぎ、現在に至っています。
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